『シャンティ・マントラ』
Ganapati、神の従者であるあなたに奉納を供えます
あなたは知識の主で栄光そのものです
あなたは神の長老でブラフマンそのもの、神秘なOMを体現してます
私達の願いを聞き届け、神聖な場に現れますように

 

私達をお守りください
私達を養いください
私達が共に精進できますように
私達の学びが輝きに満ちたものになりますように
私達がお互いに憎み合わないように

平安あれ

 

非真から真実へ
不明(闇)から光明へ
死から不死へ
どうか私をお導きください
平安あれ

 

ミトラ(友愛の神)、ヴァルナ(司法神)、アリヤマン(太陽神)、インドラ(神々の王)、ブリハスパティ(祈祷の主)、ヴィシュヌ(維持神)の祝福あれ
ブラフマンに敬礼、ヴァーユ(風神)に敬礼
あなたはブラフマンであり、真理です
あなたは目に見える真理であり正義です
真理の法則が私達と教師を守りますように

平安あれ

 

私達の耳が、良いことを聞く耳でありますように
私達の目が、良いものを見る目でありますように
あなたに与えられた健康で丈夫な身体で、あなたの栄光を讚美するために
私達に、古代に名を轟かせたインドラの恩恵がありますように
私達に、全知のプーシャー(太陽神)の恩寵がありますように
私達に、罪を滅ぼすタールクシャ(ガルダ)の恩寵がありますように
祈祷の主ブリハスパティよ、どうか祝福をお与えください
平安あれ


質問「私はいつも他人に嫌われるのではないかと怯えています。この不安を無くすにはどうしたら良いですか?」
OSHO「他人を大切にしている者の元から、どうして去りたいと思うのか。もし去っていくのなら、それはその人の都合でしょう。行かせてあげなさい。
また、他人を大切にしない者の元から、どうして去らない理由があるのか?」By OSHO

 

私はOSHOのこのシンプルな答えが好きです。

 

 

 

人と人との"相性"が何なのかいまいち分かりません。私は私に優しい言葉をかけてくれる人、私を尊重してくれる人、私を大切にしてくれる人と居ると心地良く、嬉しくなります。そして私もそれらを感謝と共に返したいと思います。お互いに大切にしあえる関係。良い相性とは心がけ一つで作り上げられるモノなのかもしれません。遠くにいる誰かを大切に思うのではなく、眼の前にいる人を大切にし、気持ちの良い関係を作り上げていけたら、自分の周りは相性の良い人達で囲まれることになるのでしょう。

 

ポイントは"お互いに"かなぁ。

 

Dec/2023


「執着を捨て、成功と不成功を平等(同一)のものと見て、ヨーガに立脚して諸々の行為をせよ。ヨーガは、平等の境地であると言われる。」by バガヴァッド・ギーター

 

私の中には常に二人の"私"がいます。
感情や欲望の赴くままの"私"と、その私を冷静に見守る"私"。ヨーガの教えでは後者の"私"を求められ、前者の"私"をコントロールするのが望ましいとされます。

 

後者の"私"で物事を見回すと、全ては善悪も幸不幸も何もない、ただの出来事、時間の流れなのだと気付かされます。そこに感情等の色付けをしているのは、私達各々の主観、前者の"私"。だとすると、私達はどのような世界でも各自で創り出すことが出来、またその世界の全責任は私達にあるのかもしれません。

 

 

私は前者の"私"も愛おしく思います。ヨーガの教え「それはエゴであり本当の自分ではない」と言われようと、私はこの"私"を受け入れ、美しい世界を創っていきたいなぁ。

 

May/2023



『No serious,focus』byクアラルンプールGanesh先生のお言葉

 

先日、Yogaに対する姿勢について聞かれました。その時に浮かんだ言葉『No serious,focus』Ganesh先生がよく言われておりました。Yogaは真剣に、真面目にするものではなく、集中の練習。アーサナを練習中に視線、身体の動き、呼吸に集中することで意識が内側に向き、それが深まると瞑想状態へと導かれます。アシュタンガヨガが"動く瞑想"と言われているのも、この集中があってのことです。
ただ単にアーサナを練習するだけでなく、哲学を勉強すると、私達Yoga練習生が導かれる先が少しだけ見える気がします。サマーディ(悟り)までは未知の世界すぎますが、目の前の出来ることをコツコツと、集中しながらすることで、ほんの少しずつ何かがクリアーになってくるように思います。

 

『健全な肉体に、健全な精神が宿る。』
先ずは健康第一。食を制する者は、人生を制するか...

 

Oct/2022


『言葉の中にあるやさしさは、信頼を生みだす。

思想の中にあるやさしさは、深遠さを生みだす。

与えることの中にあるやさしさは、愛を生みだす。』

by 老子 TAOの思想 

 

気づいたことがあります。

昔の私は偉そうに、自分ばかり与えている!と不機嫌になることが多々ありました。ある日、気が付きました。既に持っているから与えられるのだと。持っていないモノを与えることは出来ません。物もですが、知識、優しさ、気遣い、他人を尊重することや認めること、愛情。それらのモノを私は既に、たくさん与えられていることに気が付きました。

 

『与えられる人間は自由で、与えられたい人間は囚われている。』

心の自由はこの考えから生まれ、愛ある人間が一番自由なんだろうなぁ。

 

Oct/2022


『身体のヨーガ(ハタ・ヨーガ)はもともと、本来のヨーガすなわち"心"に対する理解とその完全な支配を容易にするためにあみ出されたものである。』By インテグラル・ヨーガより

 

ヨーガとは生きる意味を問う哲学です。

輪廻転生、カルマ(因果応報の法則)などの世界観を通して、なぜより良く生きる必要があるのか?を問われます。

私個人的には、その世界が存在するのかどうかは、グレーゾーンです。ただ、この知識の下に日々の生活をしていると、世の中は不思議な成り立ちをしているなぁと思うことが多々あります。偶然の一致、絶妙なタイミングで人や物事とのご縁があったり、引き寄せたり、初対面なのに何とも言えない懐しさを感じたり、直感が冴え思い通りに事が進んだり。これらに従い、流れに乗るようにすると、より良く生きられる気がします。もちろん、現実世界を心地よく生きるには、常識や法も大切です。ただ、心の声と世の中の法はそんなに違わないことに気が付きました。

 

『何故生きるのか?という答えのない問いに悩むより、今現在を精一杯楽しみなさい。』

これも一理あるよなぁ。

 

Aug/2022


『人は不合理、非論理、利己的です。気にすることなく、人を愛しなさい。

あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。気にすることなく、善を行いなさい。

目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。気にすることなく、やり遂げなさい。

善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。気にすることなく、善を行い続けなさい。

あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう。気にすることなく、正直で誠実であり続けなさい。

助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。気にすることなく、助け続けなさい。

あなたの中の最良のものを世に与え続けなさい。けり返されるかもしれません。気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。

最後に振り返ると、あなたにも分かるはず。

結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです。あなたと他の人の間のことであったことは一度もなかったのです。』By マザー・テレサ

 

「他人からどう思われたいのか」ではなく「自分がどうありたいのか」。

自分の中には、強い/弱い、優しい/利己的、積極的/消極的、勇敢/臆病、穏やか/激しい、繊細/大胆、純粋/世俗的な自分など、相反する自分が常にいます。その自分の中にある対極性を認められた時、他の人がその人らしくいることを受け入れることができる気がします。

どの資質を高めたいのか?それを学び、身に付けると第二の天性になるのでしょう。

 

さてさて、自分はどうありたい?

「誠実で、愛情深い人間になれるよう、お互い頑張りましょうね!」最近、素敵な人から掛けられた言葉。こんな言葉をサラッと言える人間になりたいなぁ。

 

それにしても、マザーは偉大だなぁ。

 

Aug/2022


《ヨーガとは"結合"》

ヨーガとは結合と訳されます。心と体、自分と自然など様々な結合。

 

毎日アーサナをしていると、自分と自然との繋がりに敏感になります。雨の日は身体や呼吸が重く、快晴の日は心身共に軽やかに感じます。季節等の環境の変化、月の満ち欠け、生理前後の心身の変化など、私たちは常に自然の影響を受けています。

『自然の流れを受け入れ、上手くバランスを保つと、心身共に健康で幸福でいられます。バランスとは絶え間ない変化に臨んでも、柔軟に対処することである。』(アーユルヴェーダの教え)

 

自分の心身は自分が作り上げたもの。病気や怪我も自分が作り上げたもの。先天的なものや不運もありますが、ヨーガの哲学"カルマ"(因果応報に基づく"行為")の考え方においては、全て自身から生じたものなのです。

心身の健康は他の誰も与えてはくれません。自然の一部である私たちは、健康でいることが当たり前の状態なのだそうです。身体の声に耳を傾け、与えられた命を大切に生きることが、私たちの生きる意味なのかもしれません。

 

Jul /2022

 


『言葉を変えると心が変わる

心が変わると態度が変わる

態度が変わると行動が変わる

行動が変わると習慣が変わる

習慣が変わると人格が変わる

人格が変わると運命が変わる』

By インドのことわざ

 

初めの一歩、小さな決断。Ashtanga Yogaの道を歩みたいと始めてから10年以上、素晴らしい先生や先輩・仲間と出逢い、刺激を受け、何度も何度も自分と向き合い、気が付けば、こんなに豊かな毎日を送っています。

一歩踏み出すこと、決断、変化することは時に大変な勇気が必要でした。しかし正しい一歩を踏み出せたら、後は継続するだけ。振り返った時に、何て大きなモノを得られたのかと感謝したくなります。

「自分の運命に責任を持つ。」と言える人間になりたいなぁ。

 

Jul/2022


『tadartha eva drsyasyatma』Yoga Sutra 2.21

見られるもの(プラクリティ)は、見るもの(プルシャ)のためのみ存在する。※プラクリティはプルシャに解放と解脱を与えるためのみに存在する。

 

知識を得ることは大切です。例え今現在にそれが理解できなくても、後にその本当の意味を知ることが出来る可能性があるからです。

 

今日、私はこのスートラの本当の意味を知りました。もちろん、この'気付き'はまだ浅く、後にもっと深い意味を知ることが出来るかもしれません。

いつでも'気付き'を与えてくれるのは、深く落ち込んだり、心がネガティブになっている時。無理に心をポジティブにしようとすると疲れるだけ。ありのままの心と向き合うことで、その物事が伝えようとする'気付き'に気がつくことが出来ます。

全ての出来事や物事は悩んだり落ち込んだりするために存在するのではなく、'気付き'を与えるためにあります。そしてこの'気付き'は私達を向上させてくれます。

小さな'気付き'も大きな'気付き'も、それを得た時は私達がもう一段向上した証。人生の意味はこの'気付き'を得るためにあるのかもしれません。

今日はただただ感謝です...

 

Jan/2022


『ヨガの道は、私達が今現在いる場所を受け入れ、感謝することから始まります。』

Sharmila先生の記事の抜粋です。

 

私達はたえず、どこか他の場合にいることや、全く別の状況にいることを望みます。しかし、ヨガの道は、私達が今現在いる場所を受け入れ、感謝することから始まります。

日常の仕事をカルマヨガ(献身のヨガ)に変え、同時に献身に満ちた仕事は結果を手放します。日常生活を自分自身を振り返る手段として使い、このSadhana(修練)が真に私達を変えているのかどうか、内面の変化が外の活動で表現できているかどうか、そしてまだ取り組むべき必要があることは何か....

自身の統合への一部は、存在すべての側面を、特にスピリチュアルな生活外と見なすモノと調和させることです。違和感のある部分を変化させないと、不完全さやムラが残ります。

このパンデミックの状況下、もっと集中すべきことや学びを深めるべきことに光を当て、特に矛盾するモノの内なる調整が求められます。

 

Oct/2020

 


禅寺にて3泊4日の修行体験。

ご住職様の法話はとても興味深く、仏教のお話しはヨーガに通じ、目指す方向や目的は一緒なのだと改めて思いました。

 

「多くの人は幸せになりたい等、何かを得たいために来られます。しかし瞑想は得るためにするのではありません。手放すためにします。」

ヨーガも同じです。シャラート先生はカンファレンスで「ヨーガは浄化(purification)」とよく言われます。先ずはアーサナで身体を浄化し、呼吸法や瞑想で心を浄化します。

‶手放す″ことや‶浄化″を行い、心のゴミを取り除いた時、真の自分を知ることが出来ます。これが仏教やヨーガの目的なのです。

 

「調身、調息、調心:調身とは身を調える(ととのえる)こと、調息とは呼吸を調えること、調心とは心(精神)を調えること。禅の3つの基本です。」

アーサナ、プラーナーヤーマ...をする目的は正にこのためなのだなぁと思いました。道は様々、目的は同じ。

 

Aug/2020


『あなたは自分自身になることができるが、それ以外のものにはなれない。そして自分自身であるということは美しいことなのだ。何であれオリジナルは美しく、新鮮で、香り高く、活き活きとしている。模倣はいつも、つまらなく、退屈で、インチキで、味気ない。あなたは偽りの演技で、いったい誰を騙しているのだ? あなた自身の他は誰も騙せていない。そして騙す目的はなんだ? 騙すことで何か得るものでもあるのか?』By「瞑想録」OSHO 

 

ヨーガの最終目標サマーディ(悟りの境地)がどのような世界なのか、達成した人にしか分かりません。その世界を知るには自分自身であることを突き詰めていくことが必要なのでしょう。エゴが発する欲望の声ではなく、社会が説く倫理の声でもなく、ただ自身の内側から溢れる喜びや活力に耳を傾け感じていくこと。それが各々の真実であり、オリジナルな自分自身なのでしょう。

 

ヨーガのアシュターンガ(八支足/八支則)を行う際に、先ずはアーサナで心身を整えることが大切だとされてます。心身が整うとヤマ(日常生活で行ってはいけない5つの心得)が自然と理解され、ニヤマ(日常生活で実践すべき5つの行い)も自然と実行したくなります。アーサナを行っていくと身体と呼吸、心と呼吸の繋がりも自然と感じていきます。もちろん教えてもらったことを意識して感じていくことも大切ですが、自分自身で自然に感じられた時がその人にとっての本当の理解になるのでしょう。  

 

May/2020

 

 


『完全な健康(パーフェクト・ヘルス)でいることは、人類にとっての義務である。なぜなら私達の誰もが意識の海に立つさざ波であり、ほんの少しでも病気になれば、その宇宙の調和を乱すことになるからだ』By ヴェーダの一節

 

最近、再読している本。
内科、内分泌学、アーユルヴェーダの専門医である著者が、心を含め完全な健康とは何か、その方法等が説明されてます。

 

自分自身を知り尊重すること、自然と調和して生活する大切さ、心身の健康に目覚めさせてくれて、身を正そうと思わせてくれる力強い言葉の数々。

 

"元来、人間は自然と戦うようには生まれていません。自然の波に乗るようにできているのです。"


"内面にある力を周囲の環境と調和させて、バランスを保っていきさえすれば、病気になることはないでしょう。バランスが完全な状態であれば、完全な健康も実現できるのです。"


"人生の中で進化し、成長していくために、あなたは自分自身で毎日の一瞬一瞬に正しい選択を下さなくてはなりません。"

 

"なぜ心の静寂が必要なのでしょうか?  

なぜなら、そこに幸福が生まれてくる場所があるからです。静寂は、インスピレーションが湧き出てくる泉です。そして、同情や共感などのやさしい感情、愛の感覚を手に入れるための場所でもあります。"

 

その時によって心に響く言葉は異なります。

それは自分が忘れていたり、欠けていたことを教えてくれる大切な言葉なのだろうなぁ。

 

Apr/2020 


『YogaとAsanasについて』
ヨーガ=アーサナ(ポーズ)ではありません。
私達ヨーガをするものにとっては、アーサナはヨーガのほんの一部です。ヨガスートラの中では、アーサナについてはほんの数行しか述べられてません。アーサナは"座位"と訳されますが、その意味は長時間座ってられるほど快適な体をつくることです。内臓を含め身体を整え、浄化することです。

 

しかし、アーサナを通して学ぶことはたくさんあります。特にアシュタンガヨガのハードなアーサナの練習をするためには、食事の取り方(質、量、時間)、休息の仕方(早起きするためにいつ睡眠を取れば良いのか)等、生活習慣をどのように整えたら良いのか学ばなければいけません。
また心の持ち方がどのように体に影響を及ぼすのかも、だんだんと経験として分かってきます。ポジティブな思考は体を軽く気持ち良くし、ネガティブな思考は重さや疲れを生じます。そして、それらを通り越して"無"を経験すると、そこにはただ目覚めという究極の体験があります。(あるそうです。)

 

痛いのでアーサナをした方が良いのかどうかの判断は?

アーサナは身体を整えるためにしています。身体に無理強いはしないように、気持ち良くすることを忘れないようにします。
どこかに痛みがある時はスローダウンします。スローダウンが後退かのように思えるかもしれませんが、自分自身を観察し知るという観点において、これは学びの一つです。

 

Mar/2020 Sunday Morning Talk


『Sadhana:自分の霊性、感性を高めるための日々の修練』

毎朝のAsana Practiceを含め、何故私達はYogaをするのか。そんな大切なことを再確認させてもらえる滞在でした。

SNSや情報を制御することにより自分自身と向き合い、シンプルな生活をすることで豊かさを感じ、素晴らしい仲間や先生と接することで自分の可能性を信じてみようと思えました。

 

「どうしてアシュタンガヨガを続けているのか?」
私に必要だからです。
練習を終えた後、私は生きていることを実感します。視界が広がり、色がいっそう鮮やかに美しく感じられます。食べ物がいっそう美味しく感じられます。鳥の鳴き声に気付くことができ、雨音が心地よく身体に響いてきます。花の香りに癒され、生きていることに感謝したくなります。

 

アーサナ練習や瞑想の持つ、心身への浄化力は何て素晴らしいのでしょう。

たくさんの情報や思考により一杯になった頭、必要以上に食べることや活動し過ぎたことにより重たくなった体 ー それらを浄化することにより、気力がわき、余裕が生まれ、ほんの少し他のモノに優しくなれる気がします。

 

Feb/2020  Ashtanga Yoga Morjim